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チンチン電車の歴史


大正元年(1912)に広島電鉄株式会社の前身の廣島電気軌道株式会社によって、
広島に路面電車が走り始めました。
以来、広島の路面電車(チンチン電車)は市民の足として
広島の発展と共に走り続けてきました。

これまで2回ほど存続の危機がありました。
最初の危機は、あの昭和20年(1945)8月6日の原爆が落ちたときです。
あの原爆投下により、多くの従業員と車両、設備等に壊滅的な打撃を受けたのですが、
原爆で肉親や仲間を失って、生きる力をも失いかけていた広島市民を勇気づけるには、
まず、電車を動かすことだということで、残された社員の努力と
関係機関の多大な支援によって、被爆して3日目には電車を走らせて、
絶望のどん底にあった市民を復興に向けて勇気づけたのでした。
さらに年内には主要路線の復旧を終えました。

2回目の危機は、昭和40年代(1960年代後半)の高度経済成長期の
マイカー、タクシー、トラックの急激な増加に伴い、広島市内に於ける交通渋滞を
発生させ、交通マヒによるダイヤの遅れからの路面電車離れでした。
その状況に対して、車両のワンマン化、宮島線各駅の無人化などで対応して、
さらにヨーロッパの路面電車の視察などから、路面電車を優先的に
走らせることで、ダイヤが遅れることも最小限にして、定時性をもった
主要交通機関としてチンチン電車を位置づけたのでした。

現在は車両の冷房化はもちろんのこと、自動列車制御装置の設置によって
快適性と列車運行の保安度向上を積極的に進めていった。
一方運行面では、宮島線沿線の宅地開発が進んで、宮島線から市内線に
引き続いて利用する電車利用者に対応するために直通電車の増強と
ダイヤ改正を実施し、利便性の向上を図ったことによって、
今日の路面電車(チンチン電車)は広島の大量交通機関として、
欠かせない存在となっています。

「路面電車を考える会」
ホームページより
グリーンムーバーLRT5000型

これから21世紀に向けて「人と環境にやさしい電車」を目指して、
平成11年3月に導入予定の車両は床面の高さが33cmでプラットホームとの高さと
ほぼ同じになって高齢者、車椅子、ベビーカーの乗り降りが非常にラクになりました。
この超低床式車両が広島の街を走り始めると路面電車に対するイメージが変わり、
広島の町並みも大きく変わることでしょう。
また、現在は新路線の計画案も提出されておりますが、投資額、環境保護、
都市計画への影響、経済効果、安全性・快適性などさまざまな面から検討しています。
これからの高齢者社会や新しい都市交通機関として、より使いやすく、
より便利な路面電車となることでしょう。



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